このページはブログ「まどーぷ自由記」を運営している、まどぅーの2022年4月の日記をまとめたものです。
ブログタイトルから文字取って「まどぅーの自由記」にしました!
今まではツイッター(@madocanada)にその日のできごとや感じたこと・考えたことを呟いていたのですが、
これからはブログに好き勝手に自己満足で書いていこうと思います!!
ゆるゆると更新していくので不定期更新スタイルにしま〜す。
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2022年4月1日「美しい湖へ」
キムがキャンプ場で仕事があり、お家で子たちのお世話をしているよりずっと楽しそう!と安易な気持ちでついていくことにした。
もちろんキャンプ場についてからはキムはお仕事。キムのお仕事が終わるまで、わたしは2歳半の双子を連れて周辺をウロウロお散歩。近くに地図があったので確認してみると、どうやら湖があるらしい。
ということで、行ってみたら!
美しすぎる湖が目の前に広がっていた。
これは激ヤバ!!と思って写真におさめまくる〜。
湖に青空が反射してこの上なくキレイな場所だった。
ウユニ塩湖に行った時よりキレイな写真が撮れたなってテンションあがったけど、よく考えてみたらウユニ塩湖にとても失礼な発言だったことに後で気づく。。
比べてごめんよ、ウユニ。
2022年4月2日「街中の小さな図書館」
カナダの住宅街の至るところlittle free library(リトルフリーライブラリー)と呼ばれるものがある。
take a book, leave a bookを概念に、ひとつ本をとったらひとつ本を差し出す、本の交換をする場所である。
本だけでなく、花・植物・種もフリー交換してるところもある。こういう取り組みすごい好きだな。
2022年4月3日「マイクロアグレッション」
子たちとお散歩していたら、ワインを飲みながらお菓子を食べているマダム2人組に遭遇。
マダムが座っているピクニックテーブルに子たちが勝手に座ってしまう。その場をすぐに立ち去りたかったのだけど、いちど座ったら納得するまで動かないし、子たちふたりは抱っこできない。
どうしたものかと考えているうちに、マダムたちが子たちにイチゴやらスナックやらを「どーぞどーぞ」とあげるもんで、
なぜか子たち+わたし+マダム2人と一緒にピクニックする羽目に。汗
(結局、スナックもありがたくいただくことに!!)
するとマダムたちが
「この子の目は青いね、この子の髪の毛は金髪だね、お父さんの目が青いんだろうね!」
「あなたは日本人でしょ?夫さんはカナダ人?」
「この子たちは女の子?男の子?」
という会話になった。
心の中で地味にくらったダメージを隠しつつ、何を伝えるべきか頭をフル回転させてみたものの、マダムたちの会話のスピードが速すぎてひと言も言葉を発せず断念。。
我が家では子どもの目の色や髪の色、太った・痩せたなどの外見的な会話やコメントは避けている。
この子たちは母ふたりであること、わたしは夫ではなく妻がいること、SNS含めてほぼカミングアウトしているのだけど、こんなふうに無防備にお散歩している時の不意打ちカミングアウトせよ!みたいなミッションにはまだ慣れていないのです。。
カナダにいても未だに子たちはお父さんがいる家族を想像される。
マイクロアグレッション、出身地や子たちへのルッキズム、興味のない人には一生考えることもないし、触れることのないトピックなんだろうと改めて思った。
(とはいえ、法的保障があるカナダは断然最強であり、フレンドリーなお店や人も本当にいっぱいいるよ〜!)
これから長い付き合いになるだろうなとか、仲良くしたいなと思う人にはカミングアウトするのに、散歩中に出会った見ず知らずの人にはなぜかカミングアウトできないのはここ最近の悩みである。
マイクロアグレッションされた時点で心を閉ざしてしまうのかな〜。夫ではなく妻なんですけどね〜って軽くいえば案外そうなのねで終わる気もする。
もう二度と会うこともないのだからさらっと言えればいいのに!と自分でも思うけど、なかなかね〜。
こんな時、みんなどうしてる?という会話を同じ境遇の人としてみたい。わかる〜〜!と共感の嵐を巻き起こしながら、喋りたい。
悶々としている心に潤いがほしいらしい。
2022年4月4日「キムと付き合った日から9年」
早いもので気づけばキムと出会って付き合って9年。
そう、9年前の4月4日にカップルになったのである!
桜の季節になると、あの頃の初々しい気持ちを思い出す。
同時に自分の中にある、いわゆるインターナライズド・ホモフォビア(内在化された同性愛嫌悪)を乗り越えるのに必死だったことも。
心穏やかでない日も、空が綺麗だと思えないほど荒んでいた日も、ささやかな幸せに乾杯しながら共に支え合って過ごしてきた。
あっという間の9年。
特に何するわけでもなく、いつものように過ごし、「9年だね〜!」「本当だね〜!」って短い会話の中に全てが詰まっていた。
いつもありがとね。
2022年4月5日「コミュニティキッチン」
家族で街のコミュニティキッチンへ行った。名前はレインボー食堂。
階段がレインボーに塗られている外観で子たちはここで登り降りして遊ぶのが好き。
入り口は車椅子でも通れるように広くバリアフリー。非営利ボランティアで、この教会を拠点に、みんなで料理して食事を街の人たちに提供している。
食材の調達はスーパーなどで廃棄される予定の食料品、個人からの寄付金、食品の現物支給を受けることで運営が成り立っている。
もともとは、ホームレスや失業者を支援する目的だったけど、経済的に困っている人だけでなく、
ありとあらゆる人が食事作りを通して繋がれる地域のコミュニティの場所になっていて。
そのために、No questions askedと書いてあり、つまり、なぜここに来たのかやなぜ食べ物が必要なのかなどのプライベートな質問はされないし、お互いにしない。
誰もが歓迎される場所で、誰もが安心して食べられる場所。
コミュニティキッチンは、建物の内装を始め、食事の準備、調理、配膳、後片付けのすべてがボランティアによって行われている。
futures clubという発達に特性のある人たちをサポートする団体の人たちも積極的にボランティアに携わって、ここで調理方法を学んで、調理師として職を見つけた人も何人かいるそう。
10年前にカルマキッチンを知ってとても感銘を受けた。このコミュニティキッチンとはまた運営法が異なるけど、こういう取り組みや居場所は今の社会にとても必要なんだなと感じた。
●今までのボランティア数200人以上
●年間12万人分の食事を無料提供
●救済した食べ物は月間4トン
2022年4月6日「コミュニティ冷蔵庫」
コミュニティ冷蔵庫に余った食料品を寄付してきた。
コミュニティ冷蔵庫は「Take what you need, Leave what you can(必要なものを受け取ってね、もしできたら寄付してね)」を概念にボランティアに寄って運営されている。
コロナが出始めた頃にあっという間に失業者が増え、地域の人たちがクラファンをして、誰でも24時間自由に使える公共冷蔵庫として設置された。
寄付金を集めたり、余った食材を寄付したり、冷蔵庫の掃除をしたりして関わりゆく中で、今の社会に必要なんだと思う。昨日訪れたコミュニティキッチンはどちらかといえば「地域の人との繋がり作り」がメインだけど、このコミュニティ冷蔵庫は違う。
人の目を気にせずに、誰とも会わずにプレッシャー感じずに食べ物を受け取れる。
分け与えば余るのに奪い合えば足りない世の中矛盾だらけ。
2022年4月7日「SNSの重圧」
SNSの重圧について考える。
いつ増えたのか、もはや本当に本当にわからないのだけど、気づいたらTwitterフォロワー3760人。
なんとなくフォローして、そのままって人もたくさんいると思うのだけど。
Twitterを通してたくさんの出会いがあった。
Twitterをやっていたから、絵本「かぞくです」を作ろう!というプロジェクトも生まれたし、日本にいるレインボーファミリーの団体があることも知れたし、結婚の自由をすべての人にの裁判をより知ることもできた。
だからTwitterをやってて本当に良かった。
だけど、Twitterで見られるほんの一部の自分の考えがすべてのイメージになっているなと、最近思う。仕方がないのだろうとは思う。
呟いたことはすべて本当にその時の自分が思ったことで、嘘偽りはないのだけど、
後々に考えや価値観は変わっていくこともある。その日呟いたことが自分の全てみたいになってしまうのが何とも言えない気持ちになる。
好き勝手に呟いてきて、これからもそうするはずだった。
でも。
自分という人間がSNSに殺されてきていることに気づいてしまった。
他人にどう思われるかを考えすぎたり、何度もイイネしてくれるのにうまく絡めず申し訳なさを感じたり、間違ったコメントを呟いたことに後悔をしたり、すぐ削除したことも何回あったり、かぶせツイートに傷ついたり、批判ツイートに打ちのめされたり。
この感情って全部マイナスでは。。と。。
以前のように、ただただ好き勝手に発信していくならTwitterじゃなくてブログでいいのでは?
6年前に比べたら顔出しで発信していく人も増えたし、わたしがLGBTQ+を発信する必要って、そもそも、もう何もないのではないか?
今がTwitterの辞めどきなんだろうか?と色々と考えるなど。
でもカナダに住んでいる以上、Twitterをやめてしまったら本当に日本のことがわからなくなる。浦島太郎状態になる。そうなるのも怖いと思ったり。
これから1〜2年くらいかけて、Twitterをやめる準備をしたい。と言いつつ、ダラダラ続けるかもしれないので未来はわからない!もしくは完全に使い方を変えてみるとか、かなぁ。
ただ思うのはもっと密に関われるコミュニティを作りたい。
今、考えているのは4つのコミュニティ。
- 絵本を紹介し合う「絵本コミュニティ」
- 離れていても支え合える「国際同性カップルコミュニティ」英語や他言語もあり
- 誰からも否定されずに想いを聞いてもらえる「傾聴コミュニティ」
- 家族でつながる「多様な家族コミュニティ」
いきなり4つも作るのはなかなか難しいし、コミュニティを充実にさせながら稼働させていくのはハードル高いから、1年間稼働で毎年自動的に解散もいいな〜。
うーむ、ゆるい、ゆるすぎる、それってもはやコミュニティなのか?とも思うけど、稼働していないコミュニティも多いからなぁ。。
これらのコミュニティに興味ある方いませんかね?一緒に作っていきたいな〜。
<下につづく>
2022年4月8日「絵本を外で」
晴れた日の午後、手作りの絵本棚とピクニックシートの上に大好きな絵本を並べてみた。
子たちもいつもと違った雰囲気にワクワクして、いつも以上に絵本を読んだ。
この日よく読んだのは「マチルダとふたりのパパ」という絵本だった。
心地のいいおだやかな日だったとさ。
2022年4月9日「多様性について」
「多様性を認めないのも多様性」ってもはや多様性じゃないじゃん!!という率直な個人的意見よ。。
マジョリティの理解がなくても、許可がなくても、頭を下げて結婚させてくださいとお願いしなくても、誰しもが生まれ持っているべきなのが「人権」であり。。
人権問題として捉えているか捉えていないかの差ってものすごく大きい。
多様性を認めるか認めないかではなく、多様性はそこに存在するもの。
なぜマジョリティに認められてこその、わたしたちの存在なのか、大いに疑問なのである。
同性婚を賛成か反対か?と議論すること自体がそもそもおかしいと、わたしは感じている。だって人権に関わる問題なんだもん。。
認めるか認めないかが議論になってしまうと、同性愛者へのイジメや死刑も「いろんな考え方があるから仕方ないよね、それが多様性だから。認めようね」につながってしまう。
多様性の中に、表現の自由の中に、差別発言やイジメや迫害は含まれない。人権に関わることは含まれない。
「多様性を認めないのも多様性」という言葉って、最も差別的な言葉だと感じる。私たちはこの社会にすでに存在している家族なのに、社会から排除される時によく使われる。
— まどぅー🏳️🌈絵本「かぞくです」制作中👶👶 (@madocanada) January 24, 2022
2022年4月10日「アートな日」
昨夜、描いたアートを飾ってミニアートギャラリーを作った。
アートに触れると心に潤いがだんだん戻ってくるようで。
慌ただしい毎日をリセットするかのように。心の内を声に出せないときはアートやダンスで表現したくなる。もっとアートやダンスが日常の一部になるようにしていきたい。
2022年4月11日「新しいダンススタジオで」
去年の年末に5年間カナダで経営していたダンススタジオを閉めた。閉めた後も野外レッスンやオンラインレッスンは継続していたのだけど。
ありがたいことに、いろんな場所でダンスを教えてほしいと声がかかった。
去年の年末に保育士のアシスタントの資格をとり、今年の夏からは保育現場で働くことが決まっているからものすごく悩んだけど、
夏までまだ時間あるしまた別のスタジオでダンスを教えることにした!!わくわくがとまらない〜〜。やっぱり踊ることが好きなんだなぁ。
2022年4月12日「子どもと大人の狭間で」
わたしは子どものまま大人になってしまったような人間なんだなと、つくづく思う。
そのために、大人になってしまった「完全なる大人」とは相性がイマイチである。残念すぎるのだけど。。!
だからこそ子どもといる時の方が自分らしくいられるのかもしれない、なんて。
さらに言うならば、子どものまま大人になってしまった大人、つまりコドモ×オトナ「コドナ」とは相性が抜群にいい気がする。
子どもとコドナの村つくりたい。
2022年4月13日「家族でプライドパレード」
わたしが住んでいるピアソンカレッジで校内プライドパレードがあった。
ピアソンカレッジは「人種、性別、貧富、宗教、国籍に関わらず全ての人が平等に学問に取り組むべき」という理念に基づいて運営されていて、200人100カ国出身の生徒が全寮制で共に暮らし共に学ぶ。
そんな小さな地球のような場所に住んで、もう7年になる。
7年前にこの場所にキムとLGBTQ+グループを初めて作った時は2人しか来なかった。
当時は校内プライドパレードもなく、ジェンダーインクルーシブトイレや部屋もなく、pronounのtheyやパンセクシャルなどの言葉も浸透してなかった。
それから毎年だんだん増えて、
そして今日、このプライドパレードには約50人50ヵ国の生徒が参加し、共に校内を歩いた。
それぞれのプライドを掲げて。
こんなにもプライドをかみしめ感極まりながら歩いたのは初めてかもしれない。
これからわたしはどうやって発信をしていくのか、少し考える時期にいる。
立ち止まって考え、もしかしたらまた動き出せるかもしれないし、もう止まったままになってしまうかもしれない。
それでも、わたしは今日、家族と初めて歩けてよかったと心から思う。
プライドパレードに参加した時のことは別記事に改めて書きました▼
2022年4月14日「生徒とダンス」
ノルウェーとウガンダ出身の生徒と踊った。生徒たちから「まどぅーのダンス凄すぎる!!」と言われ調子にのってしまうなど。
彼らが卒業前にダンスショーケースをしようという話になり、楽しみ。
言葉で表現できないものが人にはあるから踊るんだろう、歌うんだろう、奏でるんだろう、涙を流すんだろう。
2022年4月15日「久しぶりのダウンタウン」
久しぶりにダウンタウンへ。
古着屋さんに寄って半年ぶりに洋服を購入した。着なくなった洋服を持っていき引き取ってもらえる、ディスカウントチケットがもらえるので、実質0円だ。
お金も使わないし物も増えないし洋服を捨てないでいいので、エコライフ。
こうした生活の軸をもっと増やしていけるといいのだけど。
帰る前にアイスクリーム屋さんへ!
子たちが「おいひい、おいひい」と幸せそうに食べていて、わたしも嬉しくなった!家族で久々にゆっくりでき、いい休日だったとさ。
(アイスの写真はない)
2022年4月16日「友人宅でイースター」
朝は畑まで野菜を取りに行った。ニラが入っていたので思わずヨッシャ!とガッツポーズをしてしまった!餃子に入れたいと思っていたのだ。
午後は友人宅へ行き、イースターのイベント。
数人の子どもたちが家の中でスキップしたりジャンプしたりしていて可愛かった。「大人になるとあんまりスキップしないよね?」「もっと我々もスキップしよう笑」という結論に!
子たちは「たまごー!!」と大興奮しながらエッグハント。わたしが子どもの時はイースターはなかったので、なかなか新鮮なイベントである。
たくさん卵を見つけた小学生の子が、2歳半のうちの子たちに卵を分けてくれ、優しさに感動。ありがとね。
しかし、友人宅はとても大きなお家なのにチリ一つない家であった。全ての部屋がモデルルームのよう。「お客さんが来るから1日で片付けた」の雰囲気でないこともわかる。
ふたりとも仕事していて、2歳の子がいて、あれだけクオリティの家を保てるの本当に尊敬!いったいどうやったら家事育児仕事を両立できるのか、わたしにとっては永遠の謎である。
ちなみに言わずもがな我が家は生活感あふれる家だ。
2022年4月17日「家族でイースター」
今日は家族でイースター。2日間も連続でエッグハントができて、子たちは大喜び。
キムがイースターの夕食を作ってくれ、さらにノンバイナリーの親の日を祝ってくれた!
長らく性自認が女性と思っていたのだけれど、どうも社会から求められる女性像には当てはまらず。
この辺の話はまた自分と向き合いながら探っていこうと思う。
4月18日はノンバイナリーの親の日。母の日・父の日だけでなく、この日がもっと広まったらいいな。わたしは子たちからママと呼ばれることや女性の身体を持っていることに対して違和感はないけれど(今のところ)、性表現は中性、使われるpronounはsheよりtheyの方が心地よかったりします。 pic.twitter.com/hpULGFJsd5
— まどぅー🏳️🌈絵本「かぞくです」制作中👶👶 (@madocanada) April 16, 2022
2022年4月18日「作り置き」
夜な夜な作り置き。
ほうれん草と豆腐のバター醤油炒め、パスタソース、チャーハン、ニンニク丸ごとやき、鶏肉とキャベツ炒め、余りものサラダ、唐揚げ、野菜スープ。
久しぶりに作り置きしたけど、ずっと立ちっぱなしもなかなか疲れますな。ひとり温泉行きたい。カナダにないけど!
2022年4月19日「引っ越すことに」
今年の夏にいま住んでいる家を出なければならなくなった。カナダに来て7年。1〜2年に1度は引っ越しているので、次の家で5つめの家になる。
2年前にこの家に引っ越して来て、もう引っ越したくない!!と本気で思ってたけど、また引越しか、とガックリ。仕事柄、仕方がない。
この家が大好きだったので心から残念である。オーシャンビュー、リビング・ダイニング・4部屋・倉庫・広いベランダ・庭付きという申し分ない贅沢な家だった。
このエリアで同じ大きさの家を購入するとなると、1〜2億円はする。そんな素晴らしい家に家賃10万円という格安で住まわせてもらったこと、心底、感謝だ。
とはいえ、幼児を引き連れて引っ越しは本当に大変で。
いまの我が家の選択肢は3つ。
- 海が見える小さな2LDK・小さなベランダ付き
- 隣の住戸とつながっているが3部屋ある広いタウンハウス
- マイホーム購入
昨今のカナダの家事情は切実で、地価の高騰が進み、パンデミック前に5000万円だった一軒家は倍の1億円になった。ど田舎の一軒家で1億円ってすさまじい。。
家賃が払えなくなった学生が車で寝泊りをしたり、路上生活者も切実に増え続けている。
「これ以上、家の値段が下がることはないから今が買いどき」と言う不動産屋さんと、「家の値段が下がる日がくるから今購入はオススメしない」と言う不動産屋さんの意見に挟まれて、なかなかマイホーム購入に踏み切れないのが現実。
(とはいえ、1年以内にマイホーム購入予定)
となると、今の選択肢は海が見えるベランダ付きの小さな家か、隣人と隣り合わせの少し広い家か。
果たして、あちこち走り回る幼児2人と小さな家に住めるのか。この地域は10月から3月までほとんど雨で、室内で過ごすことも多くなりそうで。
気持ち的には海が見える小さな家がいい。物を減らしてシンプルに生活したい。
最低限の洋服と、最低限の物と、質のいい物の組み合わせで生きていきたい。そこに自分の家族がいれば幸せだと。そして何より、家から海が見えるなんてロマンチックだ。
(正直なところ、隣人がいないのも気楽だろうと考える)
シンプルライフ!と心ではそう思うのだけど、今の家が広く大きかったぶん、むずかしそうにも感じてしまう。
キムも子どもたちも物が多いし。
隣人と隣り合わせの少し広いタウンハウスはどうか。広い家だと子どもたちが伸び伸びできそうな気もする。物を無理に減らさなくてもそのまま収納できる。
ただ、今までのようにボサボサ頭でパジャマ姿で犬の散歩をしたり、ゴミ捨てには行けなくなるな。
(今の家はかなりプライベートな場所なのでそれができたし、意外とそこは大事)
あと家の裏が丘になっているから、子どもたちが家の周辺では遊べないのは若干デメリット。室内で遊んでいればいいのかもしれないけど。
さてどうする。どちらも日当たりはいいから余計に決めきれない!
2022年4月20日「コミュニティについて」
コミュニティのあり方について考える。いま所属しているコミュニティはいくつかあるのだけれど、そのうちのいくつかはあんまり機能していない。
機能していないというよりかは、ただ所属しているだけ、情報を受け取るだけになっている。
もしくは誰かが投げかけた質問にいつも同じ人だけが答える。それだったらメルマガでいいのでは?1対1の関係でいいのでは?と思ったり。
いわゆる古株の人たちが発言しやすく、新しく入った人はなんとなく発言しにくい、というようなところも実感としてある。
決してそのコミュニティが悪いとか、好きじゃないという意味ではなく、そもそも自分が求めているコミュニティと、そのコミュニティの概念の違いがあるだけと思う。
わたしが考えるコミュニティについて改めて考えてみた。
- みんなでルール作りをする
- 定期的に集まる
- 相手を否定しない・傷つけない
- 相手に共感する
- 一人ひとりに話せるチャンスがある
- 誰もが対等に安心して話せる空気がある
- 誰もが自由に議題を持ってこれる
- 誰もが自由にイベントの立ち上げができる
- 新しい人が入ってきた時にウェルカムの雰囲気を作る
なんとなくザッとあげてみた。
みんなでルール作りをすると、お願いする側とお願いされる側に分かれなくていいので、インクルーシブかつ対等な関係を作ることができる。
コミュニティを作った運営メンバーとコミュニティに所属している古株と新しく入る人の間になるべく差が出ないようにするためにも。
まずはどんなコミュニティを作りたいかみんなで話し合い、聞き合う。このコミュニティに求めているもは何か、聞き合う。それをどうやったら実行できるか共に考える。
それを定期的に続ける。今のコミュニティのあり方はどうか?居心地がいいか?問いながら洗練させていく。その上で基本的に出入り自由。
「自分も発言権があるコミュニティの一員なのだ」と自覚できたら、積極的にコミュニティを活用できる。
何度も顔合わせをしていくうちに仲のいい人がコミュニティ内にできると思うけれど、反対に言えば、新しく入った側からすると、入りにくいと感じてしまう原因にもなる。
仲いい人たち同士で話したり固まったりしがちだし。
そして、それはごくごく当然のことだと思うし、仲のいい人が所属しているコミュニティは安心感があり、ずっと所属していたいと思える。
だからこそ、新しい人が入ってきた時に「ウェルカムな雰囲気を古株の人たちが作る」というのも、大事なんだなと思う。
コミュニティがあることで安心することもあるだろうけど、コミュニティにいることでアウェイな気持ちになるのなら意味がないから。
みんなで決めたルールを定期的に変えたり見直したりしていけばいいから、ガチガチにルール作りをする必要はないけど、「このコミュニティの使い方」みたいな明記があるといいのだろうな。
些細なことでも相談しやすくなったりするはず。そんなコミュニティを作れたらいいなと思う。どんな形になるかはわからないけど。
2022年4月21日「ノルウェー首相LGBTQ+へ謝罪」
ノルウェーのストーレ首相がLGBTQ+当事者を招き公式に謝罪スピーチを行なった。
わたしが暮らすカナダでは、2017年にジャスティン・トルドー首相がLGBTQ+コミュニティへ謝罪を行なっている。
ノルウェーと同じく、かつて不当に差別され罰せられたり解雇された当事者が議会に集まった。
あの時のスピーチは本当に涙なしでは見られなかった。
異性カップルと同等に制度が受けられないのは制度上の差別(systemic discrimination)にあたる。
日本には人権問題であることをしっかりと認識し、この不当な差別に対して真摯に取り組み、
一刻も早く同性婚法制化(結婚の自由をすべての人に)に動いてほしい。
札幌で違憲判決が出てから、1年あまり。あれからすぐに国が動いてくれていたら。不安を抱えながら生活しなくてもいいのに、何も変わっていないのが残念でならない。
マリフォー国会はライブで見た。
様々な国会議員さんの言葉に勇気づけられ、希望をもらえる一方で、もう日本で実現するのは無理なんじゃないか?
わたしが生きているうちに、家族が日本の法律上でも家族になれる日はもう来ないんじゃないか?と頭をよぎることが何度もある。
それでも諦めないで動き続けることが大事なんだろう。かつて同性愛が犯罪だったカナダだって、今は結婚ができる国なのだから。
見逃してしまった方もアーカイブで是非▼
2022年4月22日「TRP開催」
TRPとは東京レインボープライドの略だ。カナダに移住する前にキムとTRPに参加したけど、もうかれこれ8、9年前?になるのだな〜。
TwitterのTLを見てると、本当に楽しそう。残念ながらキムが外国籍パートナーという理由でビザがおりず、未だに日本帰国は叶わずだけど、次に日本帰国するときはTRPに合わせて帰国もいいなと思ったり。
今のところ4月に休みが取れるのはほぼ皆無だけど。
過去記事(約50人50カ国出身の生徒たちとプライドパレード!家族と共に歩き思うこと)にも書いたけど、
LGBTQ+当事者への侵害や差別、社会的保障の問題などすべて含めて「世界的な人権問題なんだ」とわたしが気づいたのは、カナダでLGBTQ+グループを立ち上げてから2、3年後くらいのことだった。
それまでは今よりTRP(東京レインボープライド)も小さく、発信する人も少なく、いろんな人の意見を聞く機会もなく。
同性愛者が笑い者としてまかり通る社会で自分が育ってきたことも影響してか、当時はマジョリティありきの自分を考えていたから。
根っからの感情人間かつ理論的に説明できる性格ではないので、きちんと言語化できずモヤモヤしていたけど、
言語化してくれる人がたくさん出てきて、数々の言葉を吸収しながら自分の価値観を改めたり形成しているのだろうと思う。
初めてカナダでプライドパレードに参加した時、「Happy Pride! (ハッピープライド)」とすれ違うたびにみんなで笑顔で言い合いながらパレードを歩いた。とても印象的だった。幸せな気持ちになれた。
Happyは文字どおりハッピー、幸せのこと、Prideは誇り(日本語ではあまり使わないけど)である。
自分が自分であることをお祝いする日。
だけど「わたしたち家族はマイノリティだけどハッピーだから人権はいらないのよ」という意味では決してない。
キムに配偶者ビザがおりるとか、子どもたちが二重国籍を持てるとか、双方に親権があるとか、そういうのが人権に関わることで。
家族が離れ離れになってしまったらどうしようとか、異性カップルなら悩まないことに頭を悩ます。
些細な幸せの中に常に不安がある。そして不安をかき消すほど幸せだと思う日々もあるんだよね。
2022年4月23日「マイホーム探し」
ついにマイホーム探しを始めた。数日前には「マイホームは探さない」というようなことを書いていたはずなのだけど。
いろんな情報をかき集め不動産の意見も聞き、今後カナダの家は安くなることはなさそうと判断したからだ。
すぐに購入できなくても、今のところ賃貸できる家が2択ある状況での家探しのため、とりあえず家族で露頭に迷うことはなさそう。
キムとも話し合ったけど、「これだ!」と思える家が見つかるまでは妥協しないでおこうと。
まずは所得の計算やら書類集め、それから今の所得でどのくらいの値段の家が購入できるのか不動産に相談中。
その値段がまだ出ていないのにも関わらず、サイトでついつい家を物色してしまった。地価の高騰化が進んだせいで、1億円以上する家がわんさかある。「億」と聞くと、たいそうな豪邸を想像してしまうが、まったく違う。
ごくごく平凡な何の変哲もないボロい築40〜50年の、それもど田舎にある一軒家が1億円。。本当にたまげたもんだ。
少しばかりファンシーな家やリノベーション済みな家、4部屋以上ある家は2、3億円以上。。
仮に他の誰かと同じ家がほしい場合、最後はオークションになり、値段がさらにつり上がる。1億円が1.5億円になることも。
感覚がおかしくなりすぎて、オンボロ一軒家で9000万円だと「お!安い!!」と思ってしまうから不思議。
2022年4月24日「貨幣経済でなくて」
マイホーム探しを始めて数日。思えばカナダに移住してからずっとピアソンカレッジに住んでいたから、ようやくカナダでの人生の第二章が始まるという気がしている。
(まぁ、すぐに見つからなければ引き続きピアソンにいるかもしれないけれど)
どんな家に住みたいか、どんな生活をして生きていきたいかをとことんキムと話し合ったのだけど、同じ価値観を持ち合わせているところ、本当に奇跡のようだなと思う。
昨年末、5年間経営していたダンススタジオを閉鎖したのだけど、今は自宅のガレージにダンススタジオを作るのが夢。ダンスレッスンだけでなく色々なイベントをしていきたいと考えている。
いま世界は全てお金でまわっていて、家を購入するにもお金がかかる。だから完全に貨幣経済から抜け出すのは相当むずかしいと痛感しているところなんだけれど、気持ち的にはやっぱりギフト経済やシェアリングエコノミーの一部に関わっていける生活にシフトしていきたい。
ダンスレッスンの代金をお金で支払ってもらうのでなく、その人それぞれが持っているものと交換できたらなと思っている。
農家の子どもなら野菜とダンスレッスンを交換とか。サービスとお金のやり取りではなく、サービスとサービス、価値と価値の交換が継続してやり続けられるようにアイディアをかなり練る必要があるけど、そういった取り組みを通して自分のローカルコミュニティを作り、お金を使わずに生活していける基板みたいなものを作りたい。
お金は誰もが欲しいと思っているもの。でもお金の先にある食べ物や住む場所、衣類、娯楽など全て手に入っている状態ならお金はいらないはず。
共有したり、分けたり、知識やスキルを交換しながら暮らしていけたら、お金のために働くことも減るし、ストレスも減るし、家族との時間も増えるのではないか。
2022年4月25日「近所づきあいが苦手でして」
自分が普段考えていることや感じていることを伝えたりするのはわりと得意というか、好きなのだけど、
(相手の気持ちや考えている構想やビジョン、生き様を聞くのも好き)
近所同士の当たり障りのない会話がどうしても苦手である。いわゆるスモールトークというやつ。
だから今までも人付き合いは「狭く深く」が主軸になっていたんだなと改めて思う。もう少し要領よく「広くテキトー」にできないものかと散々悩みながら大人になってしまったなという。
そういえば大人数で開催される飲み会とか超苦手分野だった。少人数でしっぽり語り合うのが性に合っているのだろう。
2022年4月27日「某有名Youtuberの名前を聞くと」
8年前ほどに、今では登録者数149万人という某有名Youtuberのイベントに参加したことがあった。彼の出版記念イベントがあるから行かない?という友達の誘いだった。
当時の彼はまだそこまで名が知られていなかったので、そのイベントも10人くらいの規模で代々木公園の草むらで皆んなで地べたに座って行なわれた。
とはいえ、その当時からすごい行動力と実行力だったので彼のことは「知る人ぞ知る」という感じだった。
わたしは彼の本を読んだことがなかったのだけど、そこに集まった皆んなは彼のファンだった。
どうやらその自伝には「海外で男性に襲われかけた話」が書かれているようで、ファンがそのことについて詳しく聞きたいと言い、某有名Youtuberが海外の笑い話として意気揚々に話していた。
(ちなみにホモは差別用語ですが、当時の彼はホモと言っていた)
「マジで気をつけたほうがいいよ!」という言葉で、彼の話を興味津々に聞いている皆んながいっせいに笑った。
当時、キムとすでに付き合っていた時だったのだけど、何も言えなかったし、笑っていなかったのはわたし一人だけだった。
例えそれが本当にあった話でも、「ゲイ=男性を襲う」という間違った偏見は今でもあると思う。(そしてそれを笑い話にするまでがセットになっている)
とても傷つき、帰り道にひとりで涙を流しながら駅から歩いたのをよく覚えている。
いまだにその自伝は読んでいないので、どんな風に書かれているのかは正直わからない。
Youtuberとして有名になった彼の名前を周囲からよく聞くようになり、TwitterやFacebookでもふとした時に流れてくる。(彼と会いました!や彼の本を読みました!彼の動画見ました!など)
ほとんどの人間はきっと新しい人に出会うたびに価値観がアップデートされていくものだと思うし、そう思いたいし、当時の彼と今の彼の考えもきっと変わっているとは思う。
彼のことが嫌いだ!!というほどのことはされていないし、そのイベントでたった1回会っただけなので批判する気持ちも毛頭ないのだけれど、彼の名前を聞くたびに、見るたびに、あの時の孤独で悲しい気持ちを思い出して胸がチクチクする。
わりとカミングアウトしている今、同じ場面に遭遇したら何か言えるかなと考えるけど、たぶん何も言えないだろうなとも思う。
2022年4月28日「家族で海に」
キムの仕事が少し早く終わったので家族で海へ。
家の近くに海があるって本当に素晴らしい環境だなぁと自然の恵みに感謝しつつ、海をぼーっと眺めながらホッと一息つこうかなと考える間もなく、子たちがわーっと別方向に走り出すから、キムとわたしで追いかける。
双子が別方向に行くのでね。
キムはひとりを追いかけ、わたしはもうひとりを追いかける。遠くの方に小さく見えるキムに手を振って、お互い「グッドラック!」と心の中で呼びかけ合った。
帰り際にやっと合流して「そっちはどうだった?」「こっちは砂浜で遊んでたよ」「こっちは潮溜まりでバチャバチャしてたよ」とお互い同じ空間にいたはずなのにまさかの報告会。
ともあれ、子たちが楽しそうに遊んでいてよかった。愛犬ウィニーも誰もいない海を思う存分に走り回っていた。
これは子たちが海で見つけた宝物コレクション▼
明日も海行きたいと言うので明日も海かな!
2022年4月29日「ツイッターに呟かなくなって」
今週は意図的にTwitter(@madocanada)に呟かないようにして早1週間。
だいぶ依存症が治ってきたように思う。本を読んだり、ウクレレ弾いたり、絵を描いたり、引っ越しの準備したり、次の日のご飯を作り置きしたりと、かなり有効に時間を使えている気がする。
でもまた1度でも呟くと、見るのをやめられなくなってしまいそうだな〜(笑)
2022年4月30日「マイホームはどうなるか」
マイホームと聞くとキラキラした感じがあるけど、実際にはとても泥臭い大人の作業なんだなと感じる。大人になるってほんっと大変だな。。意味がわからない英単語ばかり聞いていて、もう7年もカナダにいるのにいかに自分の英語力が低いか地味なダメージも食らう。そして、いろんな物件を見るのは楽しくもある。
ここに住んだらこんなメリットがある!!と考えるのも好き。
一方でこの場所でこの地域でやっていけるだろうか、子どもたちにとって一番ベストな環境、選択なのか。
リノベが必要だけど安い家か、リノベいらずのそこそこ値段のする家か、
仕事場から遠い場所でも実際問題として平気なのか、学校まで送り迎えが必要な田舎でも大丈夫なのか、少し高いけど街まで近いほうがいいのか。
自分の親がマイホームを購入するときもこんな気持ちだったのかなと想像してみたりする。
「マイホームを購入して引っ越す」というのは人生の一大イベントだと思っているからやっぱり慎重になるんだろう。
明確な答えを導き出せない中の家探しは考えるものがあるけど、きっとこの場所しかない!と思える家に出会う気がしている。
日本にもう一度住むという考えもなかったわけではないけど、日本で同性婚ができない今、その選択肢はすぐに消えた。自分の生まれ育った国では家族と家族として暮らせないって本当に悲しいもんだな。。。
もう日本には帰らない、帰れないんだと、自分の育った故郷を思いながらどこか寂しい気持ちもマイホーム購入の話が進むにつれて受け入れている。
以前に「同性愛者なんて気持ち悪い!日本に帰ってくるな、カナダで骨を埋めろ!」とディスられたことがったけど、本当にそうなるんだと思う。カナダで生きていくんだと、わたしはここで骨を埋めるんだと。
家族と一緒ならどこにでも住める気がする。
ほんの少しの物と緑に囲まれた小さな家に、音楽とダンスとアートがあればさ。
・・・にしても高すぎないか、カナダのマイホームたち。。本当に買えるのか。。どうしてこんなド田舎なのに最低1億円するの〜〜。