わたしはいわゆるLGBT(Q)+当事者なのですが、
たまにこんな質問をされたり、言われたりします。
LGBTQ+を認められない人のことも認めろ!
ネットでもよく見かけるコメントですね。
この記事は当事者目線で「LGBTQ+を認める認めない問題」について書いていきます。
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LGBTQ+を認める認めない問題
LGBTQ+当事者としてよく質問されたり、言われたりする言葉があります。
LGBTQ+のことを認められない人のことも認めようって思わないの?
でたー!!!認めるか認めないか問題。ネットでもよくLGBTQ+を反対する理由として見かけます。
多様性を求めるなら多様な意見を認めないのは矛盾していると。
いっけん正論そうに聞こえるこの言葉ですが、こんな質問をもらうたび、心がやるせなくなります。
「認めるor認めない」が論点になる怖さ
胸が締め付けられるような、複雑な言葉を投げかけられると、
その場ではおどおどして上手く答えられないことが多かったんですが、
改めて考えてみると、その質問自体が愚問です。
なんと!答える価値もない質問だったんです!!
だって異性愛者のあなたに認めてもらわなくても、わたしはここに存在しているんですから。
「認めてもらわなくても存在しています」としか言いようがありません。
実際に一定数のLGBTQ+の人が存在しているのに、
「LGBTQ+を認めるか認めないか」が議論になるのって、何様なの?と思ってしまうんですよね。
論点がズレすぎていて…。
こんな質問されるくらいなら、反対にこんな質問をしてみたい。
「んじゃあ、わたしも、あなたが異性に恋をするのを認めてあげますよ?」ってドヤっと澄まし顔で。
人間は知らないものに対して恐怖を感じる性質があると思うんです。(ホモフォビアと言いますが)
自分とは異質に見える存在を認めたくないもの。
そしてそれが結果的にLGBTQ+当事者たちを排除する方向に繋がってしまっています。
「認めるor認めない」の意味とは?
そもそも「認める」という言葉は実に曖昧です。
LGBTQ+当事者であるがために死刑になってしまう国を「認めろ」ということなのか、
LGBTQ+当事者がイジメられたり自殺してしまうことを仕方ないことと「認めろ」ということなのか。
「気持ち悪い」とか「生理的に受け付けない」とか、そういう個人的な感情はもちろんコントロールできません。
どう思うのかは個人の自由かもしれません。
ですが、だからと言って人を攻撃していい理由にも、人権を奪っていい理由にもならないんですよね。
他人のセクシュアリティを「気持ち悪い」と言うことは「表現の自由」ではないし、
基本的人権は少数派にも与えられるべきなので。
「多様性を認めないのも多様性」という言葉って、最も差別的な言葉だと感じる。私たちはこの社会にすでに存在している家族なのに、社会から排除される時によく使われる。
— まどぅー🏳️🌈絵本「かぞくです」制作中👶👶 (@madocanada) January 24, 2022
誹謗中傷とヘイトスピーチは、「表現の自由ではない」ということが多くの人に広まってほしい。
— まどぅー@旅するダンサー🌈 (@madocanada) May 24, 2020
他のマイノリティに同じこと言えますか?
それでも、なんとか理由をつけて「わたしたちの存在を認めない」と言うのなら、お聞きしたいです。
障害を持った人に対して「手足がないなんてオカシイ。だって皆あるのに!自然じゃない。あなたの存在認めません」って言えるのか、
自分とは異なる肌の色を持っている人に対して「肌の色が黒くて気持ち悪いです。え、気持ち悪いって言っちゃいけないんですか?表現の自由の侵害です!!」って言えるのか。
すでに一定数存在している者に対して「認めるor認めない」が論点になる怖さがお分かりでしょうか…。
たとえ軽い気持ちであろうとも、
この「認めるor認めない」議論自体が特定のマイノリティに対して尊厳を傷つけ差別意識が広がっていく恐れがあるとわたしは考えています。
<下に続く>
結論:認めてもらわなくても存在してる
「多様性を認めないのも多様性」という言葉は、私たちはこの社会にすでに存在している家族なのに、社会から排除される時によく使われます。
ということで、「LGBTQ+を認められない人のことも認めろ!」という意見に対して思うことを書いてみました。
カテゴリー分けされたものや属性で「嫌い」と判断し、発言することはヘイトスピーチにあたるということです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以上、まどぅー(➠プロフィールはこちら)でした。