先日、フェイスブックで気になった投稿がありました。
「学校に行きたくない」という小学4年生の子どもが「行きたくない理由」と「どうなったらよいのか(希望)」をノートに書いたものでした。
その理由が納得できるものだったんですよね。
教育って子どもが心から「学びたい!」と思えるものであってほしいけど、ほとんどの学校が大人のエゴになっているなと感じました。
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フェイスブックの投稿
子どもが書いたノートが写真付きで投稿されていました。
こちらの投稿です▼
行きたくない理由は左側に、希望は右側に書かれています。
学校に行きたくない理由
まず、学校に行きたくない理由はこんな感じです。
- 授業は動き回れない
- 上靴をずっとはいているから足が痒い
- もっと教科書じゃなくて、本物を見たい
- 校庭が砂漠みたいで砂しかない
- 宿題が多すぎて、1日で、できないことがある
- 急に授業の内容が変わって、変わった授業の内容の教科書を持っていなくて、授業ができない(理科→算数)
- 授業中「しゃべっちゃだめ」がいや
- 休み時間が短くて、授業が長い
- 立ったら、居残りや、先生のところで立たされる
- 座りっぱなしだと、足が気持ち悪くなる
どんな学校なら行きたいか?
そしてどんな学校がいいのか希望も書いてありました。
- 立って、後ろで少し体操ができればいい
- たまに、上靴を脱いで、裸足になりたい
- もっと、たくさんの所へ行って、知りたい
- 草が生えていて、丘があったり、虫がいてほしい
- 宿題は決まった数にしてほしい
- 授業は急に変えないで、時間割どうりにしてほしい
- 授業中、少し喋りたい
- 休み時間をもっと長くして、授業を短くしたい
- 足が気持ち悪いから、少しでも立ちたい
- くつを脱いで、足を伸ばしたい
子どもの素直な気持ちが綴られていますよね。
わたしも小学生の頃、不登校を経験しましたが、ハッキリ言って日本の学校教育って何も変わっていないんだなと。
大人の押し付けになっていないか?教えてくれるのはいつも子どもなんです。
席にじっと座っている授業ってつまらない
わたしの学生時代の座席スタイルも、先生ひとりが黒板の前に立ち、生徒全員が前を向いて座って話を聞いている状態でした。
今でも変わりないと思います。
じっと座って先生の話を聞くだけの授業なんて、大人のわたしたちでも苦痛ですよ・・。よっぽど話が上手な先生じゃない限り、眠くなります。
身になる授業って自分の言葉で話す時間(ディスカッションやプレゼンテーション)が多かったり、実際に自分の目で見て触って考える授業だと思うんですけどね。
子どもたちをルールで縛って「ああしなさい、こうしなさい」というのは単なる大人のエゴ。
ちなみに、人って言葉で聞いたことはたったの20%しか頭に残らないという研究結果も出ています。
反対に、身をもって体験したことは90%の確率で覚えているそうなんです。
<下に続く>
居残りや、立たされる意味って?
特に気になったのが「立ったら、居残りや、先生のところで立たされる」って書いてあったところ。
そういう「罰を与える行為」が、わたしは昔から大っ嫌いでした。
わたしの頃にもありましたよ、そういうの。
例えば・・
- トイレ掃除をさせる
- 校庭を10周させる
- 反省文を書かせる
- 無理やり給食を食べさせる(完食指導)
- テストの成績を廊下に貼り出される など
本当に日本の教育って何も変わっていないなと思いました。
大人になった今でも、人権を無視したあの教育は間違っていたと確信しています。
連帯責任で「居残りさせる」とかもありましたね。
罰することが正しいと思い込んでいる先生が多すぎて、結果的に子どもの個性を潰してしまっています。
子どもの「学びたい!」を奪っているのは大人
この子の投稿を見ると、こんなことをを書いていますよね。
- 教科書じゃなくて本物を見たい。
- もっとたくさんの所に行って、知りたい。
この子には学びたい気持ちがあるんですよ。
でもその学びたい気持ちを奪っているのは他でもなく先生です。
日本の教育に絶望
ニュースを見ると、いまだに体罰があるし、体操服の下に肌着禁止とか細かなルールもあるし、学校って最悪に窮屈な場所ですよねー。
「教師」という権力を使って子どもたちを支配し罰を与える教育には、もはや恐怖しか感じません。
日本の教育が一刻も早く変わってほしいなと思う反面、変わらないだろうなという絶望も感じています。
あ〜どうにかならないもんかなー。
以上、まどぅー(@madocanada)でした。
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