子どもの頃って必ずといっていいほど夢を聞かれますよね。
わたしは子どもの頃、夢を聞かれて悩んだ過去があります。
何気ない「将来の夢は?」という質問が、知らず知らずに「夢を持たなきゃ」とプレッシャーになっていたなーと。
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子どもに夢を聞く大人
こんな記事を読みました。
彼らに「将来の夢は何?」と聞くと、ほとんどの生徒が「お医者さん」や「先生」と答えます。でも、それは数少ない選択肢のなかから「なんとなく儲かりそうだから」「なんとなくすごそうだから」という浅い理由で選んでいるに過ぎないというケースも多いんです。
この記事を書いたタケダさんは青年海外協力隊としてアフリカのルワンダで活動していた方です。
「夢を聞くこと」よりも「夢を見せること」が大事なのではないかと、おっしゃっていました。
確かにわたしたち大人は何気なく子どもに「将来の夢はなに?」と聞いているけど、子どもは思った以上に「仕事」を知らないんですよね。
世の中には数万種類の職業があるそうですが、その全てを大人でさえも知らないですし。
だから身近にいる「先生」や「お医者さん」が必然的に上位にあがってくる。
テレビやインターネットの影響も受けつつ、身近な人がついている職業の中から、子どもたちも夢を選んでいるということですね。
初めての挫折
わたしの将来の夢は「バレリーナ」でした。
小学校ではいつもそうやって書いていたし、聞かれたらそう答えるものだと思い込んでいました。
今思えば、本気で「バレリーナになりたい」なんて思っているわけでもなく、3歳から踊ってきたし、他に書くことがないし、「大人が夢を聞くから書いとくか」みたいな感じでしたね。
でも、小学校6年生で挫折しました。
当時は厳しいバレエスクールに通っていて、泣きながら足のつま先が血だらけになりながらの練習をする日々。
バレエが嫌いというよりも、自分には才能がない、向いていないということに気づいてしまったんですね。
自分の夢がわからない
そんな時に、学校の卒業前間近で「将来の夢をビデオカメラに残す」という企画がありました。
要するにビデオカメラに向かって「将来の夢」と「なぜなりたいか」をビデオに向かって話すんです。
挫折感を味わってしまったわたしは自分の夢がわからなくなってしまったんですよ。
それまではお決まりのように「夢はバレリーナ」と書いて過ごしてきまた。
<下に続く>
無理やり作った夢
「夢がないこと」に12歳ながらにかなり苦しみました。
やりたいことがない。夢がない。どうしよう。表現することは好きだけど、バレエじゃない。
撮影日が迫っても「自分の夢」を決められずにいた。
しかも、適当に夢を決めてその場しのぎができる性格じゃなかったんですよねー。
考えてみると「将来の夢はないからこれからゆっくり探していきたい」とかでもよかったはずなのに。
母に知恵を借りることにし、二人で悩む。
じゃあ、舞台芸術家は?
芸術家だったら、演劇、歌舞伎、ミュージカル、ダンス、音楽、美術とかなり幅広い。舞台といってもステージとは限らないし、自分がここが「ステージだ」と思えばどこでもステージになる。
そもそも舞台芸術家って何するの?って感じだったけど、だからこそ、その曖昧さと抽象的かつ幅広い職業に惹かれたわけです。
夢をビデオに残すためにわたしの夢が決まりました。
夢=職業でなくてもいい
最近、多くの人がリツイートしていた呟きがこちら▼
1/2成人式が嫌でたまらない息子、「まず将来の夢をみんなの前で発表しなきゃいけない理由が分からない。先のことなんかまだ分からないし、僕は普通に好きな場所で一人暮らしをしたいと思ってるけど、そういうのは将来の夢とは違うと言われるから言うことがない」とのこと。確かに。
— クルクル (@krttn78) 2018年1月9日
「好きな場所で暮らしたい」って夢ですよね?なのに、「そういうのは将来の夢とは違うと言われる」っておかしいですよね。
あの頃は気づかなかったけど、「夢=職業じゃない」んですね。
将来の夢って変わるし、ひとつじゃなくてもいい。もっと言えば、「夢」って別になくてもいいんですよね。誰かに言う必要もない。
大人が子どもに夢を聞きすぎたせいで「夢がない」って苦しむくらいなら、別に夢はなくてもいいんじゃないかなーと。
夢を持つことがカッコイイと思いがちだけど、この彼のように「先のことはまだわからない」ってハッキリ言えることこそカッコイイんですよ。
「将来の夢」を聞くより、人生でやりたいことリストを一緒に作る方が遥かに楽しそうです!
以上、まどぅー(@madocanada)でした。