2017年1月ダンススタジオを作るという夢がカナダで叶いました!
本当に自分のやりたいことを突き詰めた結果が、好きなことを仕事にするということです。
夢を追うのは時に辛く苦しい。それなりにリスクもある。でも、夢を叶えることができて心から幸せだと思っています。
この記事はわたしがダンススタジオを持つまでのストーリーです。
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ダンススタジオをオープンするまでの道のり
カナダでダンススタジオを設立するまでのストーリを振り返ってみました。
空きスペースに一目惚れした
わたしは結婚を機にカナダのMetchosin(マチョーズン)村で生活をスタートしました。
よく行くカフェの隣が空きスペースになっていることに気づいたんです。
窓から中を覗くと、床がフローリングだったこともあり、わたしはすぐに「ここで踊れる!」「ここで踊りたい!」と思いました。
壁には穴が空いていて、鏡や音響システムもない状態だったんですが▼
カフェに行くたびに隣の空きスペースを窓から覗き、「誰にも使われていないなんて、勿体ないなぁ」と思っていたんですよ。
ここで自分が踊っていることを想像し、気づいたらその夢はどんどん膨らんでいきました。
同時期に村の女の子から「ダンスを習いたい」とも言われていました。
村にはダンススタジオがない
わたしが住んでいるマチョーズン村は人口がたったの4000人なんですよ。
村にはレストランが1つと、ちょっと廃れたコンビニが1つ、カフェが1つ。あとは農家が多く、海や山に囲まれています。
村にはダンススタジオがありませんでした。
ダンスを習いたい子どもたちは、ダウンタウンにある大きなダンススタジオに2時間かけて家族が運転している状態だったんですよ。
この村でダンスを教えるなら「ここしかない」と思いました。
最悪、生徒が集まらなくても自分の踊るスペースとして使えばいいと思ってはいたけど、できるならダンスで貢献したかった。
自分が世界20ヶ国で踊ってきて学んだことを伝えたい。
踊る楽しさを伝えるだけじゃなく、ダンスを通して居場所を作ることができたら。
すぐに始められなかった理由
さっそく所有者に問い合わせてみると、幸運なことに週に1回借りられることになったんです!
しかし、そこからわたし自身の婚約、結婚、語学学校、ビザの関係、色々と重なってしまい、すぐには始められる環境にはありませんでした。
ビジネスライセンスの取得にも思った以上に時間がかかってしまったことも原因のひとつです。
1年間待たせてしまった村の子ども。
ダウンタウンにある大きなダンススタジオには行かずに、わたしを1年間ずっと待っていてくれた。
5歳だった女の子は6歳になってしまいました。
ダンススタジオを借りるか借りないか迷う
スタジオが借りられないかも?
「いよいよ動き出すぞ!」と思った時に所有者の人から告げられました。
かなりショックでした。
ここでやるなら場所をまるまる借りることが条件。
それではリスクが高すぎます。家賃も別に安いわけじゃないし、生徒が何人集まるのかもわからなかったし。
ダンスを始めるのは簡単だけど、続けることって難しいんですよ。
自分自身がそのことを誰よりもわかっていたから。
継続的に生徒を集められる保証はどこにもないですからね。
いずれはスタジオをまるまる借りる気ではいたけれど、週1〜2回から始めて「人数が安定したら借りよう」と思っていたんです。
リスクを負わずに手堅くいく方法を考えていたから。
リスクなしで叶う夢なんてない
安い公民館などを使う選択肢もあったんですよ。
でも、「ここ」じゃなきゃダメだった。
なんでかは自分でもよくわからなかったけど、この場所以外ではやりたくなかったんです。
のしかかる責任、すぐに決断しなきゃいけない状況、金銭的不安と契約期間の長さ。
怖くなって急に足がすくみ、寝れない日が続くと共に、決断しなきゃいけない日が迫ってきます。
スタジオを借りるのか借りないのか?やってみなきゃわからない。でも怖い。その繰り返し。
でもさ、リスクなしで叶う夢なんて、夢じゃないよね。
自分の心の声が聞こえた気がした。やらない理由がもうなかったんですよ。
この村にわたしが住んでいる意味が絶対にあると思った。そして、ここでみんなと踊りたいと思ったんです。
怖さも痛みも一緒に抱えて夢を叶えようと踏み出すことを決意しました。
たったひとりの村の女の子のために。でも本当は自分の幸せのために。
ダンススタジオ開講に向けて動き出す
ダンススタジオの内装はすべて手作り
まるまるスタジオを借りる決断をしたわたしは、1週間後にオープンレッスンを控えていました。
たったの1週間で、スタジオの内装を変えて、なんとか踊れる状態にしなければいけなかったんです。
鏡を地元のコミュニティサイトで安く手に入れ、トラックを借りて鏡をスタジオに運び、壁一面に鏡を貼りました。
正確な位置を計測し、曲がらないように真っ直ぐに。
発泡スチロールでレンガ風の壁を作ったり、朝から夜遅くまで毎日作業しました。
業者には頼まずに全て自分たちで作り上げました。
ダンススタジオを激安で作る方法は別記事に書きました▼
ダンススタジオができるまでの動画
お金がなくても夢は叶う
そして、1週間後にようやく踊れる環境になりました。
すべて手作りで行なったので激安でダンススタジオを作ることができました。
アイディアと工夫次第でお金がなくても夢は叶えられるんです。
「お金がない」というのを理由に夢を諦めるんじゃなく、お金がなくても夢を叶える方法を自分で考えて行動にうつすのが大事。
<下に続く>
ダンススタジオをついにオープンさせた!
初日のダンスレッスン
そして迎えた初日。夢みた自分のダンススタジオでのレッスンが遂に始まる・・・。
何人来るのか、どんな子が来るのか、緊張と嬉しさが交互にやってきました。
宣伝が全くできなかったので4人くらい集まればいいかなぁと思っていたところ、最初のドアが開き、次から次へと子どもたちと彼らの両親が入ってきました。
どうやら村の女の子のお母さんが学校の友達に声をかけてくれていたらしい。
緊張していた子、元気いっぱいの子、親に言われて来た子、恥ずかしがり屋の子、様々な子どもたち。
レッスンを終えると、「来週も来るから!」「楽しかった」って元気よく帰っていく子がいました。
あの村の女の子は一番前で笑顔で踊っていた。
わたしが「ダンススタジオを開く!」という決断をしなければ、出会えていなかった子たちです。昨日までは知らなかった子たちです。
子どもの時に出会っていたかった大人になる
ダンスやストリートカルチャーを通して、ユニークなアイディアでこの村を活気づけていきたいと思っています。
東京であのまま競争社会にいたらわたしの夢は埋もれて潰されいたと思う。
何もできないまま終わっていたかもしれません。
この村に来たこと、この場所にひとめ惚れしたこと、運命って言っても過言じゃないんです。
自分と自分の周りが幸せになることを突き詰め、「生きててよかった」って出会いをダンスを通して重ねていきたい。
不登校だった子ども時代、大人や先生には恵まれませんでした。
あの時、出会っていたかった大人になることが、わたしの次なるステップです。
夢が叶う人の特徴と共通点
わたしがなぜ夢を叶えることができたのか、考えてみました。
- 常にイメージしていた
- 誰かのためになる夢だった
- お金を使わずに工夫した
- できる理由を探した
- 怖さと共に叶えた
常にイメージしていた
わたしは空きスペースを見るたびに、自分がダンスを教えている姿をイメージしていました。
イメージしていると、行動にうつしやすい。もう先のことが見えているので、夢を叶えるために何をすべきかわかるからです。
誰かのためになる夢だった
実は叶いやすい夢と叶いにくい夢があるんですよ。
- 叶いやすい夢は誰かのためになること。
- 叶いにくい夢は自分のエゴがむき出しのもの。
後者の叶いにくい夢は簡単に言えば「お金持ちになりたい」とか「有名になりたい」とかが代表的ですね。誰も幸せにならない夢は叶いにくい。
反対に前者の夢は叶いやすいんです。
わたしはダンスを通して地域を活性化したい、貢献したいという明確な目標がありました。
お金を使わずに工夫した
冒頭でも書きましたが、お金を使わずに工夫しました。
鏡は中古で購入したし、レンガ風の壁は自分でペイントしたし、すべて手作りしました。
「お金がないから」「お金にならないから」と言って自分の夢を諦めるのはまだ早い。
できる理由を探した
できない理由は探せばいくらでもありました。
- 生徒が集まらなかったらどうしよう
- 家賃を払えなかったらどうしよう
- 失敗したらどうしよう
でも、できる理由を必死で探しました。
「生徒が集まらなかったら宣伝に力を入れよう」とか「家賃を払えるようにすべきことは何か?」とか。
リスクなしで叶う夢は夢じゃないんだと、自分を奮い立たせました。結果的に、本当に勇気を出して夢を叶えて良かったと思ってます。
怖さと共に叶えた
本音を言うと、夢を叶えるのは辛く苦しかった。別に簡単に叶えた夢ではありません。
「絶対成功する!」という確信と「失敗したらどうしよう」と言う気持ちは最後まで入り混じっていました。
恐れながらも前に進んできた感じなんです。
なるべくポジティブな気持ちを持つように心がけながらも、怖さと共に夢を叶えました。
人と違うことをするのはそれなりにシンドい。でもそれ以上の幸せがある!!
「失敗してもいいからやってみな!」と過去の自分に言い続けたい。
以上、まどぅー(➠プロフィールはこちら)でした。