2017年1月に設立したダンススタジオを閉めました。
「自分のダンススタジオを海外で持つ」という夢を叶えられて本当に幸せでした。
本当に素晴らしい日々だった。
この記事は、5年間カナダで経営していたダンススタジオを振り返って想うことを書いています。
5年間の思い出ダンス映像はこちら▼
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手作りのダンススタジオができるまで
5年前、よく行くカフェの隣に空きスペースを見つけました。
「この場所で踊りたい」とシンプルな気持ちだけでダンススタジオを設立しました。
自分たちで鏡を調達して、壁にはレンガを貼り付けて、ぜんぶ手作りで。
看板も手作り。
踊るには十分な場所ができて、気づいたらたくさんの生徒に囲まれて踊っている自分がいました。
幸い、口コミだけで初日からたくさんの生徒が来てくれて。
埋もれて潰されかけていた私の夢が、命を吹き返すように蘇った気がしました。
村の子どもたちは元気いっぱいで、「まどぅー!」とあっちこっちから大きな声が飛び交った。
踊っている時だけは嘘偽りなく自分自身でいられた。
「キムのパートナー」でもなく、「海外から来た日本人」でもなく、「英語がわからない内向的な人」でもなく、「まどぅー」として存在できた。
いつも笑っていられた。自然に笑顔が出てきた。
自分が自分としていられる場所だった。
みんなにとっても、そういう場所であってほしいと強く願った。
5年間を振り返ってみても、ただただ眩しい光に包まれてみんなが踊っている姿がすぐに目に浮かぶ。
毎年のサマーキャンプや野外発表会を開催
毎年開催することができた「ダンスサマーキャンプ」は活気で溢れ、
ダンススタジオを立ち上げて3年目には、野外で発表会をすることもできました。
週1回のクラスから始めて、2年目には週8回に、3年目には週10回のクラスを受け持つまでに急成長。
気づいたら生徒は50人以上。
お母さんが側で見学していないと踊れなかった子が一人で踊れるようになったり、
超がつくほどの人見知りで全く喋れなかった子が声を発するようになったり、
レッスン中に全く笑ってなくて心配だった子がよく笑うようになったり。
踊ることがそれぞれの力になっているんだなと感じていた。
自分の心の声に正直になってみてよかったと、あの時ダンススタジオを持つ決断は間違っていなかったんだと。
子どもたちだけでなく、中高生や、
大人にも教えていました。
ダンススタジオ設立して2〜3年目がいちばんレッスン数を抱えていた時期で、
様々な小中高学校に出張レッスンにも行っていました。
週末はヒップホップ誕生日会や、学校イベントでの振り付けを頼まれ、ほとんどスタジオで踊っていました。
<下につづく>
大好きな場所にサヨナラを
リスクを負わずに叶う夢なんてない。
そんな言葉を投げ捨て、始めたダンススタジオ。
今、考えると恐ろしい勢い!完全に若さだけで突っ走ってきた感。
様になるような自分であるはずなかったけど、カッコつけて飛び込んでしまったので、どんなに大変でもやり遂げるしかなった。
そして、この地になんのゆかりもなかったけど5年間、踊り続けました。
手に入れた自分の居場所。
大好きだった、この場所が、みんなが。
愛し愛される場所だった。
決して完璧じゃなかった。失敗もあった。悩むことも多かった。
だけど、うだつのあがらない日々は、奇跡を生み出してくれる日々になりました。
そう、「奇跡のような日々」という表現がとてもしっくりくる。
いつまでも奇跡が続くものだと思っていたけれど、
突然の世界的パンデミックの進行に伴って、たくさんの生徒を失いました。
それでも「まどぅーのダンスレッスンが受けたいから」とオンラインレッスンを受けてくれたり、
野外レッスンに来てくれたり、個人レッスンをとってくれたりして、このまま続けるべきか本当に悩んだ。
悩んだけれど、
2021年12月31日。
わたしはダンススタジオを閉めました。
ダンススタジオを設立してから5年の月日。6歳だった生徒は11歳になって、
そう考えると信じられないほどあっという間でした。
大好きな場所にサヨナラするのは寂しいけれど、ダンススタジオという場所はなくなるけど、わたしはこれからも踊り続けます。
わたしは君たちと踊れて涙が出るほど幸せでした。
わたしの夢を叶えてくれて心からありがとう。
わたしと一緒に踊ってくれてありがとう。
ちなみに35年前はカフェだったそう。歴史を感じる!
Before▼
After▼
サヨナラ、わたしの大好きな場所!
出会ってくれてありがとう。
5年間の思い出ダンス映像▼
以上、まどぅー(➠プロフィールはこちら)でした。