中学生の頃、理不尽な体罰や謎の学校校則がたくさんありました。
わたしが受けた理不尽な体罰を改めてまとめてみました。
しかし、これって過去のことではなく、未だに日本各地で体罰が行なわれていてニュースになっていますよね。
本当におかしい…。という話です。
スポンサーリンク
学校が大嫌いだった
わたしは小学校の時に不登校でした。
別記事(「不登校だったわたし」の人生の作り方)でも書いていますが、とにかく学校が嫌で嫌で仕方なかったんですよね。
かろうじて通った中学3年間。
いわば自分の青春でもありますが、「みんなと同じ」を強要される教育は無意味だと子どもながらに思っていました。
特に忘れもしないのは中学3年生の1年間です。
体罰が毎日のように行なわれていた
未だにニュースで体罰問題が取り上げられますが、わたしが通っていた学校も毎日のように体罰がありました。
生命にかかわるほどの暴力を受けた友達もいたし、人格を否定され傷つけるような「言葉の体罰」も経験しました。
わたしや友達が受けた体罰例
- 生徒二人の頭をつかんで複数回、頭と頭どうしをたたきつける
- 「内申書にひびくぞ」と脅される
- 胸倉を掴まれ「調子に乗るなよ」と脅される
- 自分で自分を殴らせ、「体罰ではない」と言い張る
- 連帯責任として校庭10周
- 「お前の耳デカイな」など容姿に関する言葉の体罰
- シャーペンで手首を刺される
- 野球バットでお尻を殴られる
- 空き教室に閉じ込められる
- 「名札を見せてみろ」と言い胸を触られる
暴力、脅し、監禁、セクハラ。
一番ツラかったのは、周りが「先生こわいし」とか「内申書にひびくのはちょっと…」と言って一緒に声を上げてくれる人がいなかったこと。
それもそのはず、先生が怖すぎて声をあげられる状況でもなかった。
あと、慣れというのもこわいもので、「これが当たり前」と洗脳されていたんですよね。
当時のことは別記事にも書いています。
体罰を受けた理由
なんで体罰を受けたのか、その理由だってどう考えても理不尽としか言いようがなくて。
何でもかんでも暴力や連帯責任で解決する先生が許せませんでした。
今考えても心底くだらない理由ですよ。
「挨拶する声が小さかったから」とか「体育のハチマキ忘れたから」とか、そんなもん。
生徒と先生の間に信頼関係があるなら手を出さなくても解決できます。
「暴力で解決できる」ことなんて何もないんですから。
体罰を使わないと指導できないのは完全に教師の力量不足です。
ここでハッキリと書いておきたいのだけど、管理は教育じゃない。管理は子どもの人権を無視した大人のエゴです。
<下に続く>
感情については一切話さない学校っておかしくない?
「お前はくだらない」とか「学校はそういうものなんだ。受け入れないと」って言ってくる先生が大多数だった。
その日家であった悲しい出来事とか、友達とのいざこざとか、将来の不安とか、そういう感情的な部分には寄り添ってくれず、
ロボットのように「とにかくルールを忠実に守ること」が良き生徒とされました。
自分で勇気を振り絞って「先生、それはオカシイんじゃないですか?」って声をあげても、相手にされるはずもなかった。
個性を殺しているのは学校
授業では「みんなちがってみんないい」みたいな事を言ってても、結局は「みんな同じ」を押し付けているじゃないかと。
イジメはよくないとか、差別はよくないとか言いながら、外見で人を差別しているのって先生の方じゃん。
矛盾だらけ。
「みんなと同じであるべき」という人間を大量生産しても何の意味がないことに中学生ながらに気づいていました。
個性も多様性も認められない学校って行く意味あるの?といまだに思いますね。
15年経っても未だに「体罰で骨折した」とかニュースであがってきますよね。
教育が全く変わっていないのも、もはや残念としか言いようがありません。
子ども心を忘れない大人でい続けたいし、子どもの意思を尊重できる親でいたい。
以上、まどぅー(➠プロフィールはこちら)でした。
- 教師が子どもに「デブ・チビ・ガリ」?身体的なことを言われて傷ついた生徒はたくさんいる
- 「マイクロアグレッション」って知っている?何気なく使っている言葉に潜む差別
- 「不登校だったわたし」の人生の作り方
- LGBTの自殺率が高い8つの理由